神奈川の里山:四季の森周辺

[001: 神奈川区神大寺、自宅の前にある畑と竹林です]

ホタルが見ごろだと思い、四季の森公園(横浜市緑区)に行ってきました。
ホタルが出るのは暗くなる19:30ごろからなので、それまで隣接している「里山ガーデン」を歩いてみました。里山ガーデンは工事中で大半が立入禁止、北側の谷戸跡に沿った道路だけが歩けるようになっています。
そこを歩いたのですが、乗用車が2列通れるようなアスファルト道路だし、両側には何かと花の咲く灌木が植えられたりしています。谷戸跡は田んぼの形を復元しようとしているのか、工事の途中といった様子でした。
少し遠くに見渡す山と樹林だけが自然のままです(植林のスギ、ヒノキもあります)が、もともと残されていた里山の要素がズタズタに崩されてしまい、一口に言って、残念な状況としか感じられませんでした。
さて、どのような「里山公園」が造成されるものでしょうか?

[002: 里山ガーデン東口、谷戸跡の草原にアヤメが咲いていました]

[003: ほとんど放棄されて丈が伸びたヒノキ林]

[004: 北面の森で、コナラの木と思われる]

宵の時刻になり、四季の森公園のホタルポイントに行きました。
昨年よりもちょっと少ないぐらいのホタルでしたが、少しでも見られれば不満はありません。それよりも、ホタルの数の数十倍といった人々が押し寄せて、大変なことになっていました。
でも、ホタルはストレスになる暇もなく、最後の時間をひとすじに生き抜いていることでしょう。
※ホタルの写真は撮りませんでした。公園の案内チラシでは、三脚を使ったホタル撮影はしないようにとお願いしていました。

[005: 西ひかりが丘団地にある「つる岡」さん。にぎわっていた]

滋賀県ではGW中に7件(昨年同期2件)の遭難が発生、急増しました

[6/4~10の遭難関係ニュースより]
滋賀県ではGW中に7件(昨年同期2件)の遭難が発生、急増しました。滋賀県警は、昨年10月の台風21号で登山道が荒れたのが原因の一つではないかと言っています。びわ湖バレーロープウェイから蓬莱山へ向かう金毘羅峠コースは、倒木帯が数百メートルにわたって広がり、GW中に「道に迷った」との119番が相次いだそうです。
滋賀県では、2008年に35件(ちょうど10年前の2007年は29件)だった遭難発生数が、2017年は76件と過去最多を記録しました。108人が遭難して、36人が負傷、死者・行方不明者は5人でした。
2018年は5月末時点で32件発生、死者はすでに6人、負傷者は18人です。県内には高い山はないのですが……、滋賀県としては危機感を抱く状況となっています。
遭難発生件数が多くなるのは、携帯電話の普及と、通話可能エリアが山岳域まで広がったことも要因といいます。
県警は、道迷い遭難は通報して救出される例も多い一方、通報後に現場を離れたために救出が遅れる例もあると言っています。(明らかに、新潟県五頭連峰での遭難事例を意識した発言と思われます)
県警地域課では、次の点をアドバイスしています。
(1)「救出されるのは恥ずかしい」と思わないで。道迷いは対応を誤ると最悪の事態もありえます。
(2)登山届を出して、夕刻には下山する
(3)道に迷ったときは引き返す
(4)雨具(カッパ)、ライト、予備の食料を持参する
(5)スマートフォンを持ち、予備バッテリーも装備に入れる
さらに、スマートフォンで、登山用GPSアプリの活用を推奨しています。【読売新聞、6月5日付より】

●6月4日、長野県遭難防止対策協会は、山岳遭難抑止目標を、これまでの「遭難件数/遭難者数」から改め、「死傷者数」に一本化する方針を決めました。今後の活動方針は「死傷者数の減少」と明確化することができます。2018年の目標数は、「死傷者数202人」(前年より9人減)に設定されました。

●6月6日、南アルプスの笹山(2733m)早川町側斜面で5月21日に発見されていた男性の遺体は、昨年7月に妻と一緒に入山して行方不明になっていた60代男性であることが確認されました。現場は登山道から外れた急な斜面で、妻はまだ見つかっていません。笹山は道迷い遭難が頻発している山で、何か多発要因があるものと推測されます。

携帯GPSで遭難を減らせるか?

ハフポスト日本版で、登山用GPSアプリ「ジオグラフィカ」の開発者である松本圭司さんへのインタビューが載っていました。このようなネットメディアに純粋山ネタが載るのは珍しいことです。
五頭山の遭難は社会的にも大変注目され、登山用GPSの有効性を訴えるツイートが広がったそうです。(ツイッターを活用できない私は、気がついていなかった)
登山の世界は頭が硬いと言いますか、新しいことを簡単に受け入れたりしません。本質的なところで自分の命がかかっていることをやるのですから、むやみに新しい方法を試すようなわけにはいかないのです。
スマホGPSも、道迷い遭難におちいるかどうかの局面で、新しいギアを試してみたものの、かえって事態を悪くしてしまった、などということになったら大変です。

ジオグラフィカの画面

従来から登山の世界では、地図とコンパスという装備は必携で、重要な用具と考えてきました。スマホGPS(地図付き)という新しいギアが登場して、これがあれば従来の地図・コンパスは不要だと、本当に断言していいのかどうか、ここは慎重に考えなくてはなりません。「これ超便利、紙地図はもういらない!」そう言いたくなるような局面に、スマホGPSはさしかかってきています。

1年半前、私は『やってはいけない山歩き』で、「スマホのGPSマップだけでは危険すぎる」と書きました。すると、登山を知らない人からは、「えっ!スマホ地図がどうしてだめなの?」と反応が返ってきたそうです。
それ以後も、この種のギアは進歩を遂げ、日々機能アップしてきています。いつか紙地図が本当に不要な日が来るかどうか、あるいはITギアと紙地図をどういうふうに使い分けるべきか、大きなテーマと言えます。

前記インタビュー中で、松本さんは次のように注意喚起しています。
(1)スマホGPSは、「迷ったとき」に役に立つ(現在位置がすぐわかる)
(2)行動中はバッテリーを無駄に使わないようにする(機内モードを推奨)
(3)予備バッテリーをかならず持つ
(4)スマホ使用上の諸注意が必要――画面保護、防水、低温、磁気など
(5)紙の地図とコンパスも持ち歩く
(6)GPSがあれば絶対安全ではない。安全登山には総合力が必要だ

今のところ、「スマホ地図+GPSを持てば、紙地図は不要」と断定する人(山の先輩、登山関係者、マスコミ・・・)がいたら、その言葉は疑ったほうがいいと思います。

五頭連峰で遭難した親子発見

春の連休中に五頭連峰に登ったまま戻らず、遭難したと見られていた親子が、5月29日に県警ヘリによって発見されました。2人が入山した5月5日から24日間が過ぎており、残念ながら、2人とも亡くなっていました。
一部の報道で遺体の損傷が激しいということでしたが、滑落との報道はありません。5月31日に身元が確認され、死因は低体温症と推定されました。
残雪期の山での典型的な道迷い遭難でした。
標高は1000mに満たない低山ですが、山深さ、残雪条件、谷すじの険しさなどを考えると、危険要素の多い難しい山だと思います。小学生の子どもは運動靴だったといいます。遭難者の男性が、この時期の五頭連峰の危険性をどう見通していたか、どんな準備をして入山していたかが、考えるべき点になるでしょう。しかし、当事者や関係者に取材しないかぎり、そういう点はわかりません。

赤の×印が発見場所(松平山の南西1.75km、標高580m)。松平山~五頭山の稜線から誤って迷い込んだと推定される

当初、報道された事実に誤りがありました。
親子は5月5日14時ごろ入山(日帰り予定)、16時ごろ「迷ったのでビバークする」と父親(祖父)に電話、翌朝7時30分ごろ「これから下山する」と電話、その後通話不能になったと報道されました。これでは入山時刻が遅すぎます。
ずっと後になって、電話の時刻はそれぞれ、5日20時すぎ、6日5時30分ごろ、と訂正されていました。また、5日13時30分~14時ごろ、松平山八合目付近を登る姿が目撃されていることから、入山時刻は10~11時以前ではないかと思われます(もっと早かったかもしれません)。
この入山時刻は早いとは言えませんが、松平山往復(標準で約4時間)だけなら、それほど無理な時刻ではありません。
問題点は、松平山から五頭山への縦走ルートに入ってしまったことです。松平山から下る方向を誤ったのか、意図して五頭山へ向かったのか、どちらかは不明です。当日は天気がよかったらしく、登ってきた松平山から下山方向をまちがえるでしょうか? 日没までまだ4~5時間あることから、五頭山へ向かってしまったような気がします。
そして、縦走ルートの途中で道に迷い、抜け出そうと試みましたが日没で時間切れとなります。迷って以後、男性のとった行動に、遭難の本当の原因があるだろうと思います。
20時に電話した時点で救助要請していれば助かったと、多くの人が発言しているようです。しかし、男性は自分で下山する自信があったのでしょう。
スマホGPSを活用できていれば助かった、という発言も多いようですが、それも疑問です。男性はスマホが通じる場所にいるときは、自分で下山できると思っていました。しかし、その後、スマホが通じない場所に下ってしまいました。
登山者の側に、山の危険性への感覚、道迷いを恐れる感覚があることが一番重要な点です。本心から道迷いを恐れ、警戒していたなら、「迷ったかも・・・?」と感じたときすぐに引き返そうとしたでしょう。
理由はわかりませんが、男性はそうしなかったのです。

甲府盆地巡検2日目

■5月28日(月)曇

[写真13]大善寺薬師堂

国宝に指定されている薬師堂です。150段の石段を上った山上にありました。

[写真14]甲州鞍馬石

石材の産地である甲斐大和(旧・初鹿野)を見学。産出地の徳波沢へ向かいましたが、林道が通行止めで入れませんでした。ここは運び出した石の仮置き場です

[写真15]甲州鞍馬石の肌色

花崗閃緑岩の表面が地下水に含まれる鉄分と反応して発色し、このような褐色~黒褐色に変化します。この地の特産品で、町中にたくさん飾られていました。

[写真16]塩山御影

甲州鞍馬石と同じ甲府深成岩帯に属しますが、こちらは変色の少ない花崗岩~花崗閃緑岩です。塩山裂石で産し「塩山御影」と言うそうです。

[写真17]旧大日影トンネル(深沢川側)

中央線の旧大日影トンネルが保存されています。レンガ造りの工法がすばらしいものです。沢をはさんだ反対側にはトンネルワインカーヴ(ワイン貯蔵庫)があります。

[写真18]旧大日影トンネル内

反対側の勝沼ぶどう郷駅近くの入口から。中は遊歩道が作られ30分ほどで歩けましたが、現在は通行止めになっています。

[写真19]京戸川山の神(扇頂)

扇状地を上から下まで歩きます。ここは扇頂に近い場所と思われ「山の神」が祀ってありました。京戸山、ナットウ箱山へのルートがあります。

[写真20]京戸川林道の露頭

上流へ林道を歩きます。途中の露頭は地層が立っていました。地殻変動の形跡が見えるようですが詳細不明です。

[写真21]水神碑

車で扇状地の下端へ移動します。県道に車を停めて歩くと水神の碑がありました。

[写真22]勝沼町藤井中地区の湧水(扇端)

湧水とため池がありました。扇端で水が出る場所から下に集落や耕作地ができます。藤井、千米寺といった地名も、そのことと関係があります。

[写真23]笛吹川の霞堤

最後に万力林公園へ。笛吹川の洪水を制御するための霞堤が見られます(中央の木の奥、途中で切れている堤防がそれです)。堤防の内側(左側)には万力林があります。

[写真24]最終見学地・万力林の前で

今回はここで終了です。ありがとうございました。

甲府盆地巡検1日目

■5月27日(日)晴
地理・地名分科会の巡検に参加しました。
巡検というのは、地質学・地理学研究のための実地調査のことです。地理・地名分科会では、地方にいる会員が参加できるように、年次総会(5月)または大会(11月)終了後に巡検を企画・実施しています。調査というより、小旅行のような気軽なものです。
今回の巡検は「甲府盆地」がテーマでした。

[写真01]信玄堤公園

戦国時代に武田信玄が御勅使川の流れをコントロールした遺跡が保存されています。とても高度な土木事業だったことがわかります。

[写真02]聖牛

荒れ狂う洪水の流れを弱めるために考えられ、三角形の木組みの上にこのような重り籠を載せて川岸に沈めました。甲州が始まりだそうです。

[写真03]高岩

甲府盆地で氾濫を繰り返した御勅使川の流れを、土木工事により北側に導き、この岩壁に当てて水勢を弱めたうえ富士川に合流させました。

[写真04]将棋頭

御勅使川の激流を二分して水勢を弱めるための石積みです。戦国時代に作られたとは思えない、しっかりとしたものでした。

[写真05]天井川

高田の天井川。川底よりも低い位置に集落があります。川の下をトンネルで鉄道(JR身延線)と車道が通っています。

[写真06]富士川の禹ノ瀬

甲府盆地の南端で、富士川が一番狭くなるところです(写真前方が盆地=北)。鉄道が開通するまでは、水運で人やモノが運ばれました。流れが速いときは駿河まで4時間で行ったそうです。

[写真07]鰍沢船着き場(博物館展示)

博物館展示にあった鰍沢船着き場です(写真前方が駿河方面=南)。前の写真よりも少し上流にありました。

[写真08]四尾連湖

コンビニでお昼ご飯を仕入れ、車で峡南橋から四尾連湖に登って昼食にしました。甲府盆地の周縁は地滑り地形が多く見られます。四尾連湖も大規模な地滑りによって形成された湖だそうです。

[写真09]山梨県立考古博物館

山越えをしてふたたび盆地に戻ります。甲府南インター近くにある考古博物館を見学しました。アンデス展が開催中でしたが、甲府盆地の常設展を見ました。

[写真10]丸山塚古墳

博物館敷地内は曽根丘陵公園になっていて、多数の古墳群が復元されています(外見のみ)。丸山塚古墳(直径72m)は山梨県最大の円墳だそうです。隣の甲斐銚子塚古墳(全長169m)は、4世紀では東日本最大級の前方後円墳だそうです。

[写真11]勝沼ぶどうの丘

勝沼に移動して「天空の湯」で温泉に入りました。南アルプスを展望しながら露天風呂に入れます。電線がじゃまですが、扇状地に広がるぶどう畑がきれいに展望できます。

[写真12]大善寺宿坊

国宝のあるお寺です。安価(民宿なみ料金)で宿泊できます。
= 第2日に続く =

日本山岳文化学会(総会)

■5月26日(土)曇
会員になっている日本山岳文化学会の年次総会がありました。
予算不足のため、従来の活動内容を維持することが難しい現状が報告されました。
会員を増加して会費収入を増やすことも大事ですが、
同時に、少ない経費で効果的な対外アピールの方法を工夫してゆく必要があります。
それには、デジタル技術を活用してゆくのが一番だと思います。

河口慧海をテーマにした講演

美容師で、毎年ヒマラヤ旅行をしている稲葉香さん

記念講演は、稲葉香さん「河口慧海の足跡を辿る」でした。
昨年の2カ月間余りの旅(「遠征」と言っていました)が、スライドとビデオで語られました。
河口慧海をテーマにしていますが、
稲葉さん自身がヒマラヤにひかれる理由が、とてもよくわかる講演でした。
旅や登山、冒険は、実行して終わりではなく、
発表したり表現したりすることが、大事なんだなあと感じました。

講演のあとの記念撮影

この学会で実施していることは、研究、学習、発表などですが、
すばらしい内容だと思っています。
予算不足のため活動が縮小してしまうのは残念です。
会員になることが、学会の活動を応援することになります。

埼玉県警を初めて訪問

■5月22日(火)晴
浦和にある埼玉県警本部を訪問しました。
初めての訪問で緊張していましたが、フレンドリーな対応をしてくださって、とても話しやすかったです。
今回は、登山雑誌『山と溪谷』への掲載を前提にお話をうかがいました。
若手のNさんは(持ち上げかもしれませんが)毎号自費で『山と溪谷』を買ってくださっていて、それを読んで勉強しているそうです。
そういう雑誌なんだな~と、改めて『山と溪谷』(愛称ヤマケイ)の影響の大きさを感じることができました。
記事を作成する立場から言うと、現場で活動している方々の情報や体験談から教えてもらわないと、とてもいい記事を書くことはできません。教えてもらっているのは私たちのほうなのですが・・・

県庁庁舎、奥(裏側?)に県警本部がある

駅への通りにあった渋い家

お話を終えてホッとして帰り道の写真です。
県警本部は埼玉県庁庁舎の裏側にありました。表の出入口は県庁庁舎と同じです。
そこから浦和駅までの10分ほどの道は、表通りの裏道で、飲食店などが並ぶ美味しそうなところでした。ちょうど17時過ぎ、多くの人が(店には寄らずに)急ぎ足で駅方向へ歩いていました。

駅への帰り道、美味しそうな店がたくさん

寺家ふるさと村

■5月20日(日)快晴

寺家集落前の谷戸と里山

寺家ふるさと村に行ってきました。
地元・横浜市青葉区の推薦コースにしたがって、鴨志田団地内のスーパー前から遊歩道を歩きます。遊歩道はやがて里山の縁に沿う道につながり、周囲はいつの間にか里山風景に変わります。突き当たった白い壁の工場の脇道に入ると、見覚えのある寺家ふるさと村の田園風景に出ました。
山すそを通り抜けると田畑が現れ、寺家の小さな集落になります。山道と田畑が反復して現れる道を歩き、居谷戸池、新池を通り、メインの谷戸に戻ると、日曜日なので多くの親子連れが遊んでいました。細い流れの寺家川はホタルが出るようです。

メインの谷戸、ホタルが出る流れ

谷戸の一番奥からむじな池を通り、「寺家ふるさとの森」の山に入って橋の下をくぐると熊の池です。ここは寺家ふるさと村の南側の入口です。
熊の池から山に戻って稜線まで登り(といっても10~15分ほどで着いてしまう)、この稜線を西の終点まで行ってみました。そこは「こどもの国」の山に接する場所で、ヤブの向こうに道が見えましたが、つなげて行くことはできませんでした。

商品(本)のリストを掲載しました

現在流通している、または、販売可能な本のリストを掲載しました。
5冊の山の本は、普通の書店やネット書店でも販売しています。
特にこちらで購入するメリットはありませんが、
ご希望なら署名いたします。

『日本山岳文化学会論集』は、日本山岳文化学会(JAMC)で発行している論文集です。
編集室アルムは編集・制作の仕事をしています。
今のところ創刊号以外はすべて在庫があります。
よろしくお願いいたします。