[1月4週]バックカントリーの雪崩死亡事故2件発生

[1/22~28の遭難関係ニュースから]
1月第4週の山岳遭難まとめと、関連ニュースです。

≪雪崩危険斜面を滑るのがバックカントリー?≫
●3件の死亡事故があって、どれもバックカントリー遭難事故でした。そのうち2件は雪崩によるもの、また2件は外国人グループの事例でした。

●1月25日の大毛無山南面で起きた雪崩事故は、滑走グループの1人が雪崩を誘発させ、幅30m、厚さ30~150cm、流下距離350m、やや大規模な(サイズ2.5)雪崩でした。3人は雪崩対策装備を持っていて自力捜索も行いましたが、別グループや、近くのスキー場パトロール隊も加わって捜索しました。発生から20分後に上半身が掘り出されましたが、病院で死亡が確認されました。

●1月26日の谷川岳熊穴沢で起きた雪崩事故は、詳しいことはあまりわかっていません。比較的小規模な(サイズ2)雪崩だったように思われますが、遭難者の埋没位置が深かった(250cm)ようです。そして、3人は雪崩ビーコンを持ってないためセルフレスキューができませんでした。2日後の28日、プローブによる捜索で発見されたそうです。

●筆者は30~40年前に山スキーをやっていましたが、現代のバックカントリーの感覚がよくわかりません。両事例とも地形図を見れば「雪崩がやばい!」と思われる場所で事故が起こっています。もっと雪崩の危険性が少ない場所を選んでルートをとるべきではないでしょうか? 本当に不思議です。

※以上の情報は日本雪崩ネットワークの事故調査速報にもとづいています。

1/22(火)富良野スキー場、スノーボードの男性4人(20~30代)が道迷い(コース外遭難)
1/22(火)日光白根山に入山した男性(52)が行方不明。1/24外山付近で発見救助
1/22(火)北アルプス八方尾根で、男性(19)が積雪のため行動不能(コース外遭難)
1/23(水)黒姫山で滑走中のデンマーク人男性(27)が転倒し雪に埋没、窒息死。仲間と13人でバックカントリーツアー中。
1/24(木)北アルプス唐松岳で単独登山の男性(45)が悪天候のため行動不能。1/25救助
1/25(金)大雪山系旭岳へ向かったオーストラリア人親子(男性45・10)が行方不明
1/25(金)ロッテアライリゾートから大毛無山南面を滑走中の外国人3人が雪崩に巻き込まれ、フランス人男性(49)が心肺停止、のち病院で死亡
1/26(土)谷川岳熊穴沢で雪崩が発生、スキー中の男性(29)が巻き込まれ死亡
1/26(土)苗場スキー場、男性(21)がコース外滑走中に道に迷う(コース外遭難)
1/26(土)妙高杉ノ原スキー場、滑走中のオーストラリア人男性(20)が戻れなくなる(コース外遭難)
1/27(日)八ヶ岳・広河原沢本谷でアイスクライミングの男性(62)が滑落重傷
1/28(月)日光・雲龍渓谷でアイスクライミングの男性(24)が氷が割れて滑落重傷

那須・茶臼岳 2019年2月3日

前夜は道の駅「友愛の森」で車中泊しました。ここから30分以内で登山口の大丸温泉駐車場に着きます。8時ぐらいに登山開始できれば安心です。
駐車場から茶臼岳南東尾根末端が大きく見えます。2年前、高校生の雪崩遭難事故があった場所です。

01:大丸温泉駐車場から茶臼岳、左に「天狗の鼻」が見える

出発は8時半になりました。ぞくぞくと登山者が登っていきます。今日は天候もよいので多くの人でにぎわうでしょう。赤城のときと同様、スタートからアイゼンをつけている人もいますが、少なくとも峠ノ茶屋の上部まではアイゼン不要です。
以前来たときは、厳しいラッセルと強風のため、峰ノ茶屋跡手前で敗退しました。そのときの苦労した記憶がありましたが、今回は30分ほどでかんたんに峠ノ茶屋の広場(雪が消えると大駐車場)に着きました。ミョウバン沢支流の小沢を渡って尾根に取り付き、ひと登りするともう森林限界です。朝日岳が右側に大きく見えてきて、アルペン的な雰囲気になってきます。

02:峠ノ茶屋上部から朝日岳が大きい

冬の季節風が吹くときは、この付近からすさまじい強風が吹き抜けて、峠に近づくほど強くなります。しかし、この日は春の陽気で、風はほとんどありませんでした。
峰ノ茶屋跡で大休止後、茶臼岳に向かいました。雪山技術の練習をしようと思い、アイゼンをつけて、ピッケルをきちんと持ちました。

03:峰ノ茶屋跡に建つ小屋(宿泊不可)
04:ピッケル、アイゼンで茶臼岳へ向かう

いつもの山歩きのような樹木の風景はありません。岩と雪、氷の風景は冷たく、無機質な感じがします。美しくはあっても気持ちが安らかにはなりません。
旧火口の一角に出て平坦になった稜線を少し歩くと、小さな鳥居のある最高点に着きました。雲が少し出始めましたが、会津方面以外は山々がよく見えました。西方に見える白い山は日光・尾瀬・越後方面でしょうか。北には三本槍岳と遠く純白の山脈が見えました。会越の山(守門岳、浅草岳)か、それとも飯豊連峰でしょうか。

05:茶臼岳山頂から見下ろした旧火口原
06:山頂から南西方の展望
07:山頂の登山者たち、バックは三本槍岳

眼下には旧火口原が不思議模様を描き、そのまわりを登山者がめぐっていました。私もそこを一周して峰ノ茶屋跡に戻りました。

08:旧火口跡を回るコース
09:雪原にできた氷雪の模様
10:下からも見える三角形の岩塔

時間があれば朝日岳を往復したかったですが、やめにしました。
朝日岳手前の剣ヶ峰は積雪期は直登するべきなのに、雪斜面をトラバースするトレースがあって、多くの人がそこを通過していました。あの人たちは、雪崩の危険がないことをちゃんと確認しているでしょうか?
那須で大きな雪崩事故があったのは2年前の3月下旬のことでした。あの事故の直後だったら、剣ヶ峰のトラバースルートを歩く人はいなかったでしょう。でも、2年前も今も、雪山の条件は何も変わってはいないのです。

11:剣ヶ峰のトラバースは、積雪期は雪崩チェックが必要
12:峰ノ茶屋跡から雄大な茶臼岳全景

[注]『入門&ガイド 雪山登山』の訂正事項はありません

川苔山の雪山登山 2019年2月1日

川苔山北面の雪山登山ルート

関東地方に雪が降ったので、奥多摩の川苔山へ行きました。
神奈川方面から奥多摩は遠く、電車・バスで3時間ほどかかります。始発電車で向かい、奥多摩駅8時過ぎのバスに乗り、川乗橋バス停で降ります。女性2人と男性1人が川乗林道を歩いて行きました。私は遅れて出発し、さらに途中で写真をとるので(足も遅い)、この日は後から追いかける関係になりました。
最初は遠くの山に雪が見える程度でしたが、竜王橋からは雪景色になり、細倉橋から山道に入ると完全に雪道になりました。積雪10cmくらいです。

01:川苔谷上流、右上に登山道

道は谷を何回か渡り返して行きます。最初は右岸(上流から下流に向かって右側)つまり南面を行きますが、すぐに左岸つまり北面に渡ると、道に雪が斜めについたり、傾いた桟道を歩く箇所は緊張しました。
もう一度木橋を渡り、小さな尾根を越して、塩地谷と名前を変えた本流を渡りました。谷から山道へ登る所に危険表示の黄色い看板がありました。ここから百尋ノ滝入口を経て地図上の962mピーク西~南側を巻き上がって行く区間が危険箇所です。ここでは転落・滑落事故が多発していて、死亡事故も起こっています。

02:塩地谷徒渉点、ここから上部が危険地帯
03:危険表示の道(振り返ったところ)、右下は岩壁が谷底まで

昔(若かったころ)はまったく感じませんでしたが、この日は非常に緊張して通過しました。自分がベテランだから、登山の専門家だから、事故が起こらないという考え方は私にはありません。ベテランであれ専門家であれ、遭難事故の危険性はかならずあります。そういう現実を私は見てきました。
アイゼンはつけませんでした。アイゼンをすると足裏感覚が変わって失敗するような気がして怖かったのです(通常はアイゼンをしたほうが安全度が増すのは確実でしょう)。
962mピークを巻き上がって尾根上に乗り、それから横ヶ谷に沿う植林地の道になりました。最大の危険個所が終わったので心を解き放ちました。本当にうれしかったです。

04:冬の百尋ノ滝
05:危険区域上部(振り返ったところ)、左に危険な斜面が落ちる

これから先、横ヶ谷源流は道迷いの多い所なのです。川苔山の東の肩へ至るまでのルートは複雑です。積雪は登山道をおおい隠していて、先に行った3人はルートを見つけるのに苦労しているでしょう。
地図上の1150m地点でトレースは進路を変え、対岸の斜面に取り付いて、60mほど登った所から植林地の中をトラバースしていました。明らかにルートを外していたので、私は引き返して、道標のある所から正しいルートの形跡を見つけて沢沿いに進みました。
しかし途中で、登山道の跡が完全にわからなくなりました。

06:火打石谷を渡り横ヶ谷上部へ
07:先行者のミス地点、正規ルートは木の右を進む

だいたいの位置はわかっていて、南方向へ進めば川苔山の稜線に出るという関係も確信できました。そこで、コンパスで目前の尾根が南へ延びていることを確かめ、そこを直登しました。私が登ったのは、正しいルートのひとつ西側の尾根でした。山頂の100mほど手前でトレースに合流しました。
先行していた3人は、狼平(1286mピーク)付近に出たと思われ、遠回りで川苔山に到達していたもようです。

08:川苔山直下に出た
09:山頂から西側の遠望、中央の円頂が天祖山、その右に芋ノ木ドッケと白岩山、左遠方に雲取山

時刻も遅くなり、早々に下山にかかりました。南側で陽の光を浴びる登山道にも、前夜からの雪がたくさんありました。奥多摩としては最上の雪山登山を楽しむことができました。

10:鳩ノ巣への下山もきれいな雪道
11:間伐地の雪風景

[注]『入門&ガイド 雪山登山』の訂正です
(1) 地図中、花折戸尾根(本仁田山~鳩ノ巣)の破線記号を削除。
(2) 地図中、平石尾根(本仁田山~平石山~大沢)の破線記号を削除。
なお、難易度を「技術★★」としていますが、特にトレースのない状況ではルート判断が難しくなると思いますので注意してください。

12:鳩ノ巣集落の上にある「大根の山の神」

[1月3週]バックカントリー遭難始まる

[1/15~21の遭難関係ニュースから]
1月第3週の山岳遭難まとめと、関連ニュースです。

●「バックカントリー遭難」(コース外遭難を含む)が増えてきました。管理されたスキーゲレンデの外に出て、自然の野山(バックカントリー)で、スキー、スノーボードで行動しているときに起こる遭難が「バックカントリー遭難」です。
(スノーシューハイクもバックカントリーの一部ですが、あまりにも雪山登山に近い行為ですので、ここでは雪山登山のほうに含めて考えることにします)

●バックカントリーのうち、「登る」「歩く」部分がほとんどないケースがあります。スキーゲレンデのリフト終点からスキーコース以外の山野に出て深雪滑走を楽しむものです。バックカントリーや雪山登山の知識・技術のないスキーヤーが行っているケースも多いです。このような行為は「コース外滑走」、遭難するものを「コース外遭難」と呼んでいます。

●バックカントリー遭難、コース外遭難は、近年、大変多発しています。外国人の遭難も多い点が大きな特徴です。これからが多発のシーズンとなります。

1/18(金)妙高市内のスキー場、50代男性がコース外滑走中に迷い遭難[注1]
1/19(土)大雪山旭岳ロープウェイ、60代男性が滑走中に現在地不明となり救助要請
1/19(土)十勝連峰三峰山で香港から訪れた男性2人(57・45)が装備不良のため遭難
1/20(日)斑尾山でバックカントリーツアーの外国人男性(30代)が立木に衝突し左脚骨折
1/21(月)北海道富良野スキー場、外国人男性2組7人がコース外に出て迷い救助要請

[注1]スキー場からの希望により、遭難発生場所は公開されませんでした。
[注2]この週の事例は5件ともバックカントリー遭難でした。妙高市内スキー場、大雪山旭岳ロープウェイ、富良野スキー場の3件はコース外遭難と考えられます。

[1月2週]八甲田エリアで利用者への「八甲田ルール」

[1/8~14の遭難関係ニュースから]
1月第2週の山岳遭難まとめと、関連ニュースです。

●八甲田エリアでは、今シーズンから「八甲田ルール」を決めて、スキーヤー、雪山登山者などのエリア利用者に守ってもらうことになりました。
内容は、4項目が柱になっています。
①スキー場が安全管理を行う区域を明確にしました。=管理区域
②それ以外の区域では、スキー場は安全管理を行いません。=管理区域外
③管理区域外へ入山しようとする人は、入山・登山届を提出しなくてはなりません。
④管理区域外で遭難し救助を求めた場合、依頼者は捜索・救助費用を支払わなくてはなりません。

●なお、管理区域はスキー場内(ダイレクトコース、フォレストコース)をさします。また、スキー場内でも閉鎖中のコースへの進入や、営業時間外に捜索・救助活動を行った場合には、捜索・救助費用が発生するそうです。

●雪山登山やバックカントリー(山岳スキー、山岳スノーボード、スノーシューハイクなど)をする人が、マスコミなどの影響で急に増えてきたため、従来はあたりまえだったことを知らない(あるいは忘れた)まま、雪山フィールドでの行為に入ってしまう人がめだつようになりました。「八甲田ルール」は、雪山で危険をともなう遊びに取り組もうという人には、あたりまえなことを文章化したものです。

1/10(木)北海道・トマムスキー場、室蘭工大中国人研究生(男性30)がコース外遭難
1/10(木)奥多摩・向山で男性(76)の遺体発見。山菜採りのため入山し病死したもの
1/10(木)四阿山で男性(72)が道に迷い、県警ヘリで救助
1/12(土)甲斐駒ヶ岳の鞍掛沢で男性(51)がアイスクライミング中に15m滑落し大腿骨骨折
1/13(日)裏岩手連峰の大松倉山東方で男性(26)と小中学生4人のグループ、後をついて歩いていた別の男性(47)がルートを迷い遭難、全員ヘリで救助
1/13(日)志賀高原熊ノ湯スキー場、仲間とはぐれた男性(25)がコース外遭難
1/13(日)尾鈴山(宮崎県都農町)で40代男性が行方不明。翌日ヘリが出動し発見救助

[1月1週]クリスマス~年末年始の遭難発生状況

[12/25~1/7の遭難関係ニュースから]
12月第5週と1月第1週の山岳遭難まとめです。

●クリスマス連休(12/22~24)には西から冬型気圧配置が強まり、24日は9日ぶりの冬型となりました。連休中に入山していた大雪山系オプタテシケ山、剱岳北方、甲斐駒ヶ岳で、大きな遭難が発生しました。
オプタテシケ山では室蘭工大ワンダーフォーゲル部学生4人が遭難し26日に救助されました。
甲斐駒ヶ岳ではアイスクライミングの2人が行動不能となり、七丈小屋にたどり着いて救助要請しました(ルートがどこなのか確認できていません)。
剱岳北方の遭難は大きく報道されました。大窓ノ頭付近で長期ビバークのすえ31日にようやく救助されました。

●28日からは年末寒波が襲来して強い冬型が続き、北海道・東北地方を中心に記録的な大雪となりました。
31日に寒波は峠を越えましたが、元日以降も冬型は続き、ようやく緩んだのは正月明けの4日でした。
このような気象状況でしたが、年末年始期間の遭難は少なかったように見えます。悪天候が予想されたので、北・南・中央アルプス、八ヶ岳、富士山のような本格的雪山への入山者が少なかったものと推測されます。
しかし、近ごろの遭難多発状況は生やさしいものではありません。本格的な雪山プランはあきらめても、登山者たちは別のエリアへ流れます。最終的にはけっこうな数の遭難事故が発生しています。

●警察庁は1月10日に年末年始の山岳遭難発生状況を発表しました。
それによると、12/29~1/3の6日間に全国で30件の遭難が発生し、遭難者数は40人、死者・行方不明者は1人(負傷者12人、無事救出27人)でした。
遭難件数で見ると、過去5年間では2017年(49件)の次に多く、過去10年間では2017年(49件)、2013年・2014年(各31件)に次いで4番目に多いという結果でした。また、遭難者数で見ても過去10年間で4番目に多い結果でした。
テレビ・新聞などのマスコミ報道が少なかったのは、大規模遭難がほとんどなかったからです。しかし、軽度の遭難事例はそれなりに多発していたのでした。

12/25(火)大雪山系オプタテシケ山で室蘭工大WV部男子4人が遭難、1人が低体温症となる。12/26救助
12/25(火)南ア・甲斐駒ヶ岳でアイスクライミングの2人が八合目へ向かう途中で行動不能。七丈小屋から通報
12/25(火)北ア・剱岳大窓ノ頭付近で男性(51)が両足指に凍傷を負い行動不能。悪天候でヘリが飛べず12/31ヘリ2機で救助
12/26(水)妙義・金鶏橋で女性(47)が倒れており目撃者が通報。12/27崖下30mで遺体発見収容
12/26(水)祖母山系二ツ岳に単独で入山した男性(65)が行方不明。12/31遺体発見
12/28(金)上毛・子持山獅子岩の南方で女性(45)が30m滑落、背中の骨を折るなど重傷
12/28(金)南ア・甲斐駒ヶ岳仙水峠付近で男性(56)が道に迷ったうえ両手足に凍傷。12/29救助
12/28(金)八ヶ岳・阿弥陀岳南稜で男性(56)が同行者のアイゼンに当たり足を負傷
12/29(土)奥武蔵・長瀞アルプス万福寺コースで男性(56)が滑落し、病院へ搬送後死亡
12/30(日)徳瞬瞥山(北海道伊達市)でスキー登山の男性(20代)が下山方向を見失い迷う
12/31(月)富士山富士宮口元祖七~六合目で下山中の男性(33)が道に迷い行動不能
12/31(月)八ヶ岳・柳川南沢登山道を下山中の男性(41)が転倒し左足捻挫
1/1(祝・火)北ア・白馬乗鞍岳1900m付近を滑走中の外国人男性5人(20-21)がルートを迷い翌日救助
1/2(水)十勝・三段山から吹上温泉へ滑走中のベルギー人男性2人と日本人女性がホワイトアウトのため行動不能
1/2(水)奥秩父・大嶽山那賀都神社付近の山中で女性(53)が迷ったうえ斜面から20m滑落し肋骨骨折
1/2(水)北ア・槍ヶ岳北鎌尾根3000m付近で男性(43)が滑落し鎖骨骨折など。4日救助
1/3(木)北ア・唐松岳八方尾根2000付近で男女(45・48)が悪天候のため行動不能。4日自力下山

赤城山 2019年1月19日

 前夜車で赤城山南麓にある道の駅「ふじみ」に行き車中泊。翌朝8:10始発のバスで赤城山へ向かいました(ちなみに土日祝のみ6:15始発もあります)。
 山麓は晴れで雪はまったくなし。しかし途中で路面が凍り始め、箕輪では1cmほど薄く雪が積もって、空からも小雪がぱらつき始めました。バスは20分ほど停車してチェーンを巻きました。それからは雪景色になっていき、雪山登山ができそうなので安心しました。
 大沼(「おの」と読む)湖畔の「あかぎ広場前」で下車しました。冷たい風が吹きすさび、灰色の湖面にワカサギ釣りのテントが寒そうです。けっこうな数の車が来ていて、登山者も次々と出発していきます。

01:猫岩から大沼、赤城神社

 赤城山は人気の(便利な)雪山になっていました。拙編著『雪山登山』が出るころより以前は、雪山登山対象として赤城山はそれほど注目されていませんでした。当時は、ピッケル、アイゼンを使わずに登れる赤城山は、やさしすぎると考えられていたのでしょう。
 登山口で、一群の人たちがアイゼンをつけていました。私は靴のまま通り過ぎ、登り始めましたが、すぐに少し後悔することになりました。雪が少ないうえにアイゼンで踏み固められ凍ったステップは、ツルツルして滑りやすかったからです。ほとんどの人が最初からアイゼンをつけて歩いていました。

02:キツイ登りが稜線までつづく

 猫岩で展望が開け、大沼と赤城神社が見下ろせます。毛坊主のような鈴ヶ岳だけは陽がさして明るいですが、そのほかの山は雲の中に沈んでいます。
 あとから登って来る人に次々に追い越され、少しプライドが傷つきますが、体力が落ちているので仕方ありません。自分のペースで登ります。
 上の稜線が思いのほか近く見えたのでGPSを操作すると、稜線まで高差約50mの地点まで来ていました。そのまま登ってしまいました。これで登山口から1時間20分、バス停からだと1時間40分ノンストップです。飲まず食わずの山歩きは体に負担が大きく、あまり勧められたものではありません。

03:黒檜山山頂、午前は展望なし
04:展望台へ行くトレース
05:霧氷
06:信越方面の大きな展望(展望台から)
07:にぎわう黒檜山付近

 霧氷というのか、雪のつぶつぶが木の枝に砂糖菓子のように凍り付いています。降雪量が少ない山ならではの雪の造形です。写真に表現できればいいのですが、うまく撮れないだろうと思いつつ何回もシャッターを押しました。
 簡単に登れてこのきれいな雪景色が見られたら、ビギナーは雪山の虜になることでしょう。でも、ちょっと滑る場所で、ビギナーにすぐアイゼンをはかせてしまう大甘のやり方をしていると、本当の雪上歩行のバランスが体得できないかもしれません。
 そういう私も、黒檜山からの急下降に備えてアイゼンをはきました。私のような中高年は転ぶと骨折する危険性が高いから、アイゼンをはいて慎重に歩いたほうがいいのです。南向き斜面でさらに雪の少なくなった登山道はアイゼンで歩きづらかったです。

08:霧氷の樹木におおわれた駒ヶ岳北面
09:木の影(大ダルミ付近)

 最低鞍部(大ダルミというらしい)は風が強く、駒ヶ岳の北面も全面がシュガーツリーになっていました。晴れ上がって山々が輝き、谷川連峰以外の四方の山々がすべて見渡せる好天になりました。駒ヶ岳からは筑波山や富士山も見え、雪のない関東の広漠とした地塊が広がっていました。
 雪山入門にふさわしい、短い一日の雪山歩きでした。

10:駒ヶ岳稜線から黒檜山
11:駒ヶ岳登山口に下りた
12:駐車した富士見温泉からの夕景

[注]『入門&ガイド 雪山登山』の訂正です
(1) P157マイカー情報/「AKG冬割バス」は「AKG冬割パス」の誤り。ただし、この割引チケットは車中では販売されていませんでした。廃止された可能性があります(バス会社にまだ問い合わせていません)。正規運賃は富士見温泉から赤城山上各バス停まで片道1200円です。
(2) P157追加情報/富士見温泉の入浴料は510円。なお、道の駅「ふじみ」の野菜販売は安くお買い得です。

[1/21追記]「AKG冬割パス」は今年も販売中で、富士見温泉~赤城間往復1650円(750円割引)。ただし前橋駅から乗車する場合は、別途前橋駅~富士見間の運賃が必要です。バス車中で販売し、道の駅「ふじみ」などでは販売していないそうです。関越交通渋川営業所0279-24-5115

大倉尾根~塔ノ岳 2019年1月13日

 前日、関東地方に雪が降るかもしれないというので、早起きをして丹沢に向かいました。大倉尾根から塔ノ岳へ登ります。雪山入門ルートの1つです。
 天気予報は外れぎみで、雪があるかどうかは微妙でした。小田急線の渋沢駅からは朝日に染まった大倉尾根が望まれました。上部は雲の中です。
 大倉を7:50に歩き始めました。雪用スパッツをつけましたが雪はまったくありません。
 最初の小屋(観音茶屋)、雑事場ノ平、見晴茶屋までで約1時間、小草平(堀山の家)でさらに1.5時間でした。

01:雑事場ノ平、大倉高原への山道が分かれる
02:見晴茶屋から相模湾
03:堀山(吉沢平)付近、森の表情

 この上で木の枝に白い霜が見え始め、やがて雪の景色に変わっていきました。
 花立山荘までの区間は1~2cmの積雪でした。私はこの周辺が深い溝でえぐれて荒廃していた時期しか知りません。登山道の復旧が進められてすっかり様変わりしていました。
 約1時間で花立山荘に着きました。空は明るくなってきましたがまだ晴れません。
 ここから花立、馬ノ背、金冷シにかけて、雪の風景が最もきれいでした。積雪は2~3cmです。前夜に降った雪が凍結して、翌日気温が上がって落ちてしまうまでのわずかな時間に、幸運にも出会うことができました。

04:天神尾根分岐付近、雪があらわれる
05:植生が回復していた花立山荘下の斜面
06:金冷シ付近、雪の風景(1)
07:金冷シ付近、雪の風景(2)
08:難所、崩壊した馬ノ背の稜線


 塔ノ岳からは蛭ヶ岳方面も見えましたが、頂上からまだ雲が取れません。昼食をかねて40分ほどいて、もう下山を始めようというころ、ようやく蛭ヶ岳が姿を現しました。

09:塔ノ岳直下
10:塔ノ岳山頂
11:塔ノ岳から蛭ヶ岳、丹沢山

 花立まで下ると、大丸から小丸尾根方面の樹林帯が陽を受け、雪をつけたシュガーツリーが輝きました。写真に定着させる腕前を持っていないのが残念でした。
 昔、沢登りなどの帰りに駆け下っていた大倉尾根は、ズタズタに傷つけられて荒れ放題でした。今は工事用のバラスは敷かれているけれど、長年にわたる活動により植生が復活し、豊かな自然の表情を取り戻しつつあるように見えました。
 大倉尾根の往復だけでしたが、十分に楽しい山歩きができました。

12:小丸尾根方面の着氷した樹々


[注]『入門&ガイド 雪山登山』の訂正です
(1) P165地図中/大倉高原山の家は閉鎖されました。キャンプ場は利用可能です(2019年1月現在)。
(2) P165マイカー情報/戸川公園の3カ所の駐車場は全日有料に(低料金です)、開門時間は8:00~21:00に変更されました。民間駐車場の利用料金(低料金です)も変更になっています。

神成大平山 2019年1月4日

 1週間の帰省期間は、ほとんど雪かき作業で終わってしまいました。夜行バスで帰宅しようという最後の日に、スノーシューをはいて近くの山へ出かけました。
 阿仁前田と阿仁合の旧町境近くにある神成(かんなり)集落の裏山です。ずいぶん以前に山道が整理されて、大平山と呼ばれているそうです。私の少年時代(1960年代後半)、このへんの山はすべて子どもたちの遊び場でした。

1:25000「阿仁前田」より作成

 国道105号線バイパスのログハウス風建物のある左側から山道に入ります。左側にたくさんタラノキが出ているわきを通り、右折して林道に上がります。左へ行くと林道上の最高点で、ちょっと見晴台のようになっており、「窓」と呼ばれる稜線上の峠です。ここを右折するとすぐ右側に鳥居があって、大平山の登山口になっています。尾根に向かって登り、尾根に出たら左に曲がって稜線をたどります。
 私の少年時代には、このへん全体が雑木林で、燃料の薪を伐り出す林だったと思います。今は手入れの不十分な杉が伸びて展望が悪くなってしまいました。稜線の左側に少しだけ雑木林が残っていて、木の間から青空が見え、日が差し込んでいました。

01:林道に作られた登山口
02:スノーシューのトレース
03:雑木林の枝越しに青空がのぞく

 地図で三角点の記号がある付近は、ちょっとした広場になっていました。
 集落に面している右側斜面は、子どもらが冬にスキーをする遊び場でした。毎日ここに通って雪まみれになりながらスキーをしました。そして、たまにはこの稜線まで登りつめて、反対側の斜面に滑り下りました。初めての斜面に出て深雪を滑るのはドキドキする冒険でした。スキーはゴム長靴に革ベルトで取り付ける粗末なものでした。小学5年~中学1年のころです。
 雪の上にはたくさん足跡があって、犬のようにも見えます。足跡から動物の種類がわかったら、それだけでずいぶん楽しめるでしょう。
 三角点の広場から少し下り気味にたどって、最後に10mほど短く登ると頂上に着きました。展望はよくないですが、木の枝越しに阿仁前田の集落と阿仁川が見えます。晴れれば森吉山も望めるでしょう。

04:三角点付近と思われる小広場
05:縦横にアニマルトラックが残されている
06:大平山頂上の小屋

 頂上の小屋は昔からあって、中で花札を打って遊んだ記憶があります。「太平山神社」と書かれていましたが、石に刻まれた字は「大平山」で、どちらが正しいかわかりません。この地方の山は、すべて秋田の太平山と関係が深いようなのです。
 ここまで順調に来られたので、変化をつけて稜線を縦走してみることにしました。登ってきた方向と逆側、北方の尾根へ向かいます。

07:小屋内は神社になっている
08:山頂からの眺め、小又川合流点
09:地図読みをして東方向へ下る

 標高190m付近(A地点)で北東の支尾根へ入りそうになり、修正して引き返しました。こんなとき誤ったことに気づくには、直感と地図読みの力が必要だと思います。一帯は平坦でルート判断が難しい地形となり、誤って左右の支尾根や、浅い沢筋に入りそうになります。
 道形らしい箇所をさぐりながら尾根突端の送電鉄塔まで来ました。その先はヤブの茂った急斜面になっています。戻って東側の浅い沢地形に沿って下ると、うまく山道に当たって林道に出ました(送電鉄塔があれば、かならず通じる山道があるはずです)。

10:無事に林道へ下りた
11:林道側壁の崖、雪崩もあるだろう

 滝ノ沢と神成集落を結ぶ林道を南方向へ歩きました。すぐに右側の崖からスノーボールが大量に落ちている箇所がありました。この上に迷い出たら危険でしょう。また、雪が多ければ雪崩が起きてもおかしくない地形です。小さな山でも危険はあるものです。
 この地方の山に第一歩を記すことができました。
 雪山ハイキングとして楽しめるルートかどうかわかりませんが、私自身にとってはなかなか楽しめるものでした。

12:神成集落の外れに下りた

【参考時間】 国道105号<ログハウス>(0:20)登山口鳥居(0:35)太平山(0:40)鉄塔(0:45)国道105号<神成入口> 合計2時間20分
(注) 秋田内陸線「前田南」駅から国道105号線の登山口・下山口へは各約20分。また、下山地点から四季美館へ15分、さらに秋田内陸線「阿仁前田」駅へ20分。

七角山登山 2019年1月1日

 七角山(ななかどやま)は阿仁前田地区の阿仁川岸(右岸)にそびえる三角形の山です。「前田富士」の別名があります[注1]。
 毎年、森吉山岳会の正月登山は七角山に登ります。元日の9時から登り始めるようですが、トレースがありますから、だれが何時に行ってもいいのです。
 前田中学校時代の同級生Kさんに誘われて、元日の9時すぎから登り始めました。
 参加者はKさんと山岳会会長のMさん、それに私の3人だけです。
 出発前、Kさんは「先頭で2人で歩くから、まあ、何もいらねべ」と言いました。かんじきやスノーシューは不要という意味でした。
 2人は特に待つでもなくさっさと歩き始めました。私は、冬靴をはき、スパッツをセットし、ポールを用意しました。いちおう持っていこうと思い、スノーシューを抱えて後を追いました。

01:杉林の中を行く

 神社への登り道のわきからルートが始まると、すぐに膝ぐらいの深いトレースでした。それを一目見て私もスノーシューを履き、トレースを追いました。
 人けのない整理された杉林の中に入りました。山の静かな空気に包まれると気持ちが落ち着きました。若いころは何の感慨もなく通り過ぎていた日本の山里の風景が、今はことさらに気持ちよく感じられます。
 ルートが登りにさしかかった地点で、Kさん、Mさんはひと休みしていました。トップを歩いたKさんは少し上気した様子でした。休んでいる間に少しでもルートを進めておけばと思い、「先に行ってます。そこから左に上がればいいね」と言って先に出ました。
 ルートには目印になるものは何もなくて、山道のある付近の上はそれなりの空間があいているので、そこを察知してたどるだけです。地形図も持ってきていましたが、道記号(破線=徒歩道)がついているわけでもなく、役に立ちません。しかし、地元でガイドをしているKさんは自分の庭のようにルートを知っているでしょう。
 山道と思われる白い雪の帯が途切れ、左手のほうに帯が続いていると推測し、左折してそちらへ向かいます。そのルートが行き詰まった所でKさんを待ちました。
 「ここで、えが(良いか)?」ときくと、「え(良い)。右行って、左な」とKさんが言うので、右折して斜め上に登り、さらに左折してジグザグに登ります。前方に行き詰まりそうな急斜面が見えてきたので、そこを避けるために、右折~左折を1回入れて、1段高いラインを行くように調節しました。
 尾根上らしい所へ出て、右折してゆるやかになった稜線を少し登り詰めると、「窓」と呼んでいる展望台へ出ました。これで半分か、それ以上登ったことになります。「窓」からは阿仁前田の集落と阿仁川が眺められます。山々は雪雲におおわれて見えません。

02:中間地点「マド」の展望台
03:雪の湿気が高いため木枝にくっつく
04:前田地区と阿仁川

 M会長が先頭で登り始め、途中でKさんに代わり、私がいつでも交替できる気持ちで後ろにつきました。後から犬連れの人が追い着きましたが、お名前は不明です。山岳会の会員かもしれません。
 稜線に出て風が強くなり、雪雲が切れて青空ものぞいています。立派な碑のある山頂に着きました。碑には「三吉神社」と刻まれています。
 お神酒と餅、少々の料理を並べ、Kさんが持ってきたモロビの小枝に火をつけます。ろうそくではなくモロビを焚くのは、昔の信仰登山(森吉登山)でこうしていたという話です。だれも知らず、気にかけられてもいない、森吉山の信仰登山の史実も、調べて正式な記録として残しておかないといけないなぁと思いました(私たちが死ぬ前に?)。多くの人が作り上げた文化は、継承され、遺されてゆく価値のあるものです。
 相当量のお神酒をいただきました。かたづけて下山にかかりました。多少酔いが入っていてもだいじょうぶな程度の小さな山です。
 山を下りてから「クウィンス森吉」(阿仁前田駅の施設)に行って、2階の談話室で懇親しました。Kさんは地元の過疎化のことを話していました。私は県外者で、年に何回か訪れるだけですが、Kさんの考えることはよくわかりました。故郷がよい方向に進展してほしいといつも願っています。

05:七角山の頂上直下
07:モロビを焚く(同)
08:森吉山岳会の重鎮(?)

[注1] 「前田富士」という名称は、今は統合でなくなった前田小学校(旧森吉町立)校歌の最初に歌われています。この校歌は「浜辺の歌」で有名な成田為三氏が作曲したものです。次のような詩です。

「前田小学校校歌」
   昭和3年(1928)制定
  作詞:高橋政和 作曲:成田為三
一.窓にそびゆる前田富士 軒端流るる阿仁川や
  山うるわしく水澄みて わが学び舎の気高さよ
二.春はかすみの中をぬい 秋はさぎりの道をふみ
  朝な夕なにいでいりて わが学び舎の懐かしさ
三.あゝ冬の日のろのほだ火 あゝ夏の日の冷風や
  昼夜ここに集い来て わが学び舎の楽しさよ
四.われらが学ぶその心 われらが歌うそのひびき
  みな山川にならいきて わが学び舎の悦しさ
五.清き風をば胸に吹い 強きからだを鍛えつつ
  神のまなごぞ育つなる わが学び舎の厳しさよ

10:まだ小さいが雪庇もある
11:雪で飾られた木々
12:ふたたび見晴台より